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2021.12.20

【施設】横浜ベイコート倶楽部

横浜ホテル戦国時代 夜明け前編

それにしても大丈夫なのだろうか。と心配になってしまうのはクラベールだけでしょうか。

これほどの短期間に毎年複数のホテルがわずか半径数キロ圏内にいくつもいくつも開業して大丈夫なのだろうかと心配になるのです。

それは2019年から2023年のわずか4年ほどの間に驚くほどの新規ホテルが横浜から関内までの数キロ圏内に開業するのですが、いくらなんでもそんなに観光客来るのかと心配になるのはクラベールだけでしょうか。

これをクラベールは勝手にみなとみらいホテル戦国時代と呼んでいるのですが、昨年開業したカハラホテル&横浜ベイコート倶楽部もその内の一つとして数えられます。

今日は、横浜のホテルの歴史と共にこのホテルを取り巻く環境が今後どのように変わっていくのかを考えてみたいと思います。

勿論、これらはコロナ禍以前に既に計画されていただろう事ですし、おそらくこれらのホテルはもう既にコロナ禍が収束した時の事に頭は切り替わっていると思いますが、コロナという物がなかったとしても大丈夫なのだろうか。と素人ながら心配になる新規開業ホテルラッシュなのです。

まず首都圏意外の方はあまりこの土地がどのような位置関係になるのかわからないと思いますので、みなとみらいホテル戦国時代の舞台について少し解説したいと思います。

場所は横浜。

横浜と言っても観光地としての横浜は大きく分けて3つのエリアに分けられます。

一つ目が横浜駅を周辺とするエリアです。このエリアは新宿、渋谷、池袋などをイメージするとわかりやすいかと思います。それとMM21と呼ばれるみなとみらいエリアになります。東京で言うお台場のような場所でしょうか。それと古くからの建造物が残る関内エリアと、大きく分けて3つのエリアに分ける事が出来ますが、このとても狭いエリアで横浜ホテル戦国時代に突入しようとしているのです。

このエリアは南北に約4キロ、東西に約1,5キロ。おそろしく狭いエリアで戦うのね。と再度認識するのですが、横浜市民以外にはまったく馴染みのない横浜市営地下鉄ブルーラインで説明すると

横浜ー高島町ー桜木町ー関内という4つの駅はわずか5分で駆け巡ります。
Googleマップより

東京の方にとっては東急みなとみらい線の方が馴染みがあるかと思いますが、みなとみらい線ですと

横浜ー新高島ーみなとみらいー馬車道ー日本大通りー元町中華街というようになります。多少うねりながら走るので約700mおきに駅があるという事になります。

全国的地名度NO1のJRですと横浜ー桜木町ー関内ー石川町という事になるかと思います。

つまりこのメチャクチャ狭いエリアにはホテル戦国時代より前に各社電鉄戦国時代が存在していた事を今知るのですが、この狭いエリアにこの駅の多さはもはやギャグではないだろうか。

そんなエリアに古くからあるのがホテルニューグランド(関内エリア)という事になります。
このホテルニューグランドは皆さんが子供の頃大好きであっただろう。ナポリタンスパゲッティ、ドリア、プリンアラモードなど発祥のホテルと言う事でご存知の方も多いかと思いますが、終戦直後に川奈ホテル同様接収されたこのホテルが進駐軍将校のために、彼らが持ち込んだパスタとケチャップを使い作ったのがナポリタンの発祥というのは有名な話ではないでしょうか。

又、戦後マッカーサー元帥が厚木基地に降り立ってその日に宿泊したのがホテルニューグランド。マッカーサー元帥が宿泊した315号室は今でも宿泊可能なお部屋となっており、宿泊せずとも一度は覗いてみたいお部屋ではないでしょうか。

そうです。サザンオールスターズのLOVE AFFAIR秘密のデートの歌詞に出てくるバー、シーガーディアンもこちらのホテルの1階にあります。丁度、こちらの曲に登場してくるマリーンルージュと一緒に同じ写真内におさめる事が出来るという運の良さ(笑)

つまり、横浜のホテル=ホテルニューグランドと言っても過言ではないホテルがこちらのホテルになります。

川奈ホテルのクラベールブログはこちら

そんな戦前よりあったホテルニューグランドが賑わっていた約40年後に開発されたのがMM21と呼ばれる埋立地のみなとみらいエリアになります。

このMM21地区はクラベールが子供の頃は、横浜博覧会というまったく誰も知らないであろう謎の博覧会をやっていて、その後どうなるのかと楽しみにしていましたが、なんだかこれはお台場の先駆けではないだろうか。と思う程に開発は進まず、歩けど、走れど、空き地地平線が見えるのではないかと心配になる過疎地が突如横浜駅脇に出現したのです。
(一番左側がランドーマークタワー・ロイヤルパークはランドマークタワー上層階にあります)

そのような中、開業したのが横浜ランドマークタワー内に開業したロイヤルパーク(みなとみらいエリア)と、その並びに肩身が狭そうに開業したとパンパシフィック横浜・現横浜ベイ東急(みなとみらいエリア)となります。
(一番右側の建物がパンパシフィコ横浜・現在は横浜ベイ東急)

又、横浜の写真で必ずと言っても良いほど出てくる帆の形状をしたグランドインターコンチ横浜(みなとみらいエリア)という事になります。
(グランドインターコンチ横浜)
これらのホテルはもうほぼ隣同士、肩をぶつけ合って競っている事から、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎に並ぶ、新三大横浜ホテル御三家と命名されました。(笑)

それと同時期にイルカに乗って横浜駅前の最高の立地にやってきたのが、城みちること横浜ベイシェラトンホテル(横浜エリア)となります。もう駅前というより、もうターミナルの中みたいな立地ですが、以前は何があったのだろうか。
(横浜ベイシェラトン)
ちなみにですが、このベイシェラトンはマリオットグループになりますので、国内にいくつか点在するリッツカールトン、大阪に開業したホテルW、JWマリオットなども同じグループになります。

これらの3つのホテルはマリオットグループの中でも上位ホテルと位置付けられ、その下にシェラトン、ウェスティン、メリディアンなどのプレミアムホテルがあるという事になります。このマリオットグループは本当に差別化が好きなホテルでその下にも2段階右折しないと右折させてもらえないコートヤードバイマリオットや、右折禁止ホテルのレジデンスインなどがあります。(笑)

そうです。気づいた時には、シェラトンやウェスティンなどを手掛けていたスターウッドグループはマリオットインターナショナルの軍門に下っていたのです。

これはまさに、幼い頃の徳川家康。もう今川義元はダメだと思えば信長の手下として上手に生き延びるのです。(笑)

つまり、元々、横浜の関内エリアにあったホテルニューグランド(本館、タワー合計252部屋)その後横浜駅前に開業した横浜ベイシェラトン(398部屋)横浜新御三家ホテルのロイヤルパーク(603部屋)パンパシフィコ横浜(480部屋)グランドインターコンチ(594部屋)と合わせて、約2300部屋の宿泊施設が1,5キロ×4キロの狭い地域に同居し、ワシントンホテル、ダイワロイネット、ホテルJALシティーなどのビジネスホテルを合わせると、もう一体全体何部屋分あるのかもはや総部屋数は不明ですが、長年なんとか喧嘩する事なく仲良くやっていた横浜ホテル業界は突如として関ケ原合戦夜明け前と化すのです!(笑)

次回は横浜ホテル戦国時代 小早川秀秋の裏切り編になります。

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