箱根離宮と宮ノ下と
湯本福住、塔ノ沢一の湯、芦之湯松坂屋、紀伊国屋、これらの共通点をわかる方はどのくらいいらっしゃるだろうか。湯本の福住は萬翆楼と言った方がご存知の方もいらしゃるかと思いますが、このブログを書こうと下調べをしたら芦之湯松坂屋はもうそうではなくなってしまったようです。
少し前に有馬温泉についてのお話をした事があるかと思いますが、これらは古くから同族経営をしている湯宿という事になります。今回のブログを書くに当たって再度それらのホームページを確認したところ、芦之湯松坂屋は金の竹グループになっていたようなので、クラベールが知る限り星の数ほど宿がある箱根の中でも、もう創業家が現在も経営しているのはおそく3つか4つほどになっているという事です。ひょっとするともう少しあるかもしれませんが、もしご存知ならお知らせ下さい。
クラベールは20年ほど前かと思いますが、芦之湯松坂屋さんにお世話になった事があります。一言で言うと素晴らしい。エクシブ箱根離宮にないものを全て備えていると言っても過言ではない宿です。
その時、クラベールは人生で初めて白濁した温泉を利用させていただいたのですが、それは今まで味わった事がない温泉であったのを鮮明に覚えています。こちらの芦之湯松坂屋さんでは、お部屋のお風呂でも白濁した温泉を楽しむ事が出来ます。白色から青っぽくもなり、時折エメラルドグリーンに変わるその泉質は今でも忘れる事はありません。温泉が湧き出る箇所からは湯の花が積り、クラベールの人生であれほどの湯の花を見た事は現在に至るまでありません。
現在、関東圏で一番人気のある施設であろうエクシブ箱根離宮も同族経営であった奈良屋旅館の跡地に開業を致しました。古くは、関東所々温泉案内井道程に出てくる箱根宮ノ下に8軒ある湯宿の中に奈らや兵治という名が残されているそうですが、こちらが奈良屋旅館の初見とされています。今から遡る事約250年前の話となります。
この宮ノ下は豊臣秀吉の小田原攻めの時から底倉の湯治場として使われていた事を考えると歴史的にはかなり古く。宮ノ下の西隣にある底倉温泉の記述で最も古いものになると江戸時代後期に書かれた底倉記の記述で南朝再興のため挙兵した新田義則が底倉温泉で潜伏中に打ち取られた。というのが最も古く1403年の事だそうです。そこから数えると約600年前からこの箱根宮ノ下で温泉を楽しんでいる人たちがいた事が想像できますが、新田義則は楽しんでいるどころではなかったとかいろいろありますが、こんな山奥まで来ないやろ。とどんちゃん騒ぎでもしていたところを打ち取られたのかもしれません。
それから数える事450年後、横浜に港が開かれると多くの外国人に箱根は人気のリゾート地となり、所謂奈良屋と富士家の客獲得戦争に突入するのです。ちなみにエクシブ箱根離宮ホテル前の富士屋ホテルですが、ホテルから富士山が見えるという訳ではありません。ではどこからその名前がやってきたのかというと元々富士屋ホテルも藤屋旅館という旅館を山口仙之助という実業家が買収し富士家ホテルと改名して開業した歴史があるのです。
この山口仙之助は津田梅子や福沢諭吉などと一緒にアメリカ留学をしてきた人物なので当時としては相当なエリートと言えるのでしょう。
横浜開港から突如人気のリゾート地となった箱根宮ノ下は奈良屋旅館と富士屋ホテルの顧客獲得合戦に突入するのですが、それに終止符を打つために明治26年富士屋ホテルは外国人専用、奈良屋旅館は日本人専用と協定が結ばれこの協定は大正1年まで守られていました。奈良屋旅館には勝海舟、木戸孝義、富士屋ホテルにはチャップリンやヘレンケラーなどの各国の著名人が宿泊された事はそれらが関係しているのかしれません。
そんな富士屋ホテルも創業家の山口家の手を離れ現在は国際興業の傘下となるのですが、これらも宿命なのかもしれません。奈良屋旅館の廃業は創業家の相続のためだったと記憶しています。その時に手を挙げたのがリゾートトラストと六本木ヒルズなどを手掛ける森トラスト。エクシブ箱根離宮が開業されなかったとしてもなんらかのホテルもしくは旅館が新たに開業されていたのでしょう。
結局、奈良屋旅館跡地にはエクシブ箱根離宮、森トラストは現在の強羅のハイアットのある場所に会員制ホテルを開業する事になりました。森トラストは途中で計画変更により、一般ホテルを開業しますがいくつかの外資を経て現在の強羅ハイアットリージェンシーとして営業をしています。
有馬温泉と箱根温泉この2つの温泉地は誰の物なのでしょうか。そこを訪れる人の物なのでしょうか。それともそこで湯宿を経営している人の物なのでしょうか。
そこを訪れてくる人たちは経営母体が変わっても気づく事はほぼありません。前来た時はもっと食事が良かった気がする。前来た時よりサービスが良くなった気がする。それらはなんらかの因果関係があるのでしょうか。
芦之湯松坂屋は金の竹グループの傘下になり、エントランスから望む庭園や客室がリニューアルされ5つの貸し切り風呂が造られていました。若いカップルなどは利用したくなるような湯宿へと変わっていました。これは良かった事なのでしょうか。良くなかった事なのでしょうか。
最後に宮ノ下駅徒歩1分のところに奈良屋旅館さんのご子息様がやっているNARAYA CAFEというのがあり、そちらで奈良屋旅館の歴史に触れる事ができます。又富士屋ホテルの花御殿地下1階に富士屋ホテルの歴史の展示スペースなどもございますので、次回、エクシブ箱根離宮に行かれた際には、少しの時間を費やしてみてはいかがでしょうか。
芦之湯松坂屋の公式ホームページは
こちら
お時間がありましたらこちらのブログもご一緒に読み下さい
エクシブ箱根離宮と奈良屋旅館のブログは
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