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2022.08.26

【施設】リゾーピア熱海

リゾーピア熱海 後日譚

真鶴にて源頼朝出兵の浜を跡にしたクラベールは、普段なら小田原厚木道路方面に車を走らせるのですが、この日は右に湘南の海を眺めながら車を走らせるのです。せっかくここまで鎌倉殿の足跡を辿ったのなら、どうせなら梶原景時の館を見て帰ろう、鎌倉殿の最後も見てから帰ろうという気持ちになっていたからなのです。

その前にそもそも梶原景時とは誰なんだろうか?という鎌倉殿の13人をご覧になっていない方にもわかるように説明したいと思います。
この旅行記のスタート地点である石橋山の戦いに敗れ、しとどの窟に鎌倉殿と、私、江間小四郎クラベールが身を隠していた時に、敵軍として残兵捜索をしていたのが梶原景時という武将になります。この梶原景時は、このしとどの窟にて鎌倉殿及び残兵を見つけるも、このしとどの窟には誰もいない。と虚偽の報告をし源頼朝の命を見逃したという事で知られている武将で、今思えば、見る目があった男なのかもしれません。
現在、梶原景時館跡地にはとても小さな神社があり、子供達が遊ぶ公園でもありました。その後、源頼朝は安房から鎌倉に入ると、自分の命を救った梶原景時を重要な役職に付け、重宝したと言われています。
頼朝の死後、梶原景時は他の御家人に追われる事になり、現在の静岡市辺りで討ちとられる事になるのですが、彼の館跡地は歴史の1ページを捲る人物にしては、とてもひっそりとしていました。
梶原景時館跡地を見学したクラベールは、その後に旧相模川橋脚を見学してきたのですが、この場所は幾度もクラベールが日頃通過している場所。国道1号線を挟んだファミリーレストラン夢庵は幾度もお世話になっているクラベール御用達お食事処。日頃、ちょいちょい通過する道からわずか10メートルほど入った所に源頼朝の最後の史跡があるとは思ってもみなかったのです。
こちらの旧相模川橋脚は、将軍となった源頼朝が相模川に完成した橋を祝うために訪れた後に、鎌倉への帰り道に落馬により命を落とした。という頼朝にまつわる最後の史跡という事になるかと思います。
こちらの橋脚は大正時代の関東大震災時によって出現した全国的にも稀な遺跡という事であるという事ですが、この橋の完成時には流石の頼朝もこの後に馬から落馬するとは思ってもみなかったのではないでしょうか。
頼朝の死後、鎌倉幕府は源氏将軍は3代で断絶する事になりますが、その後は9代目の守邦親王まで北条家の傀儡政権となります。人はなんのために戦い、何を守るために戦ってきたのでしょうか。

そんな事を考えながら、再びハンドルを握りエンジンをかけるのです。

クラベールブログリゾーピア熱海編は本日のブログにて最終回となります。

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