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2023.11.29

【施設】会員制ホテル他

ぶらり大阪 茶臼山

昨晩、少し飲み過ぎたせいだろうか。朝目覚めると、朝食を食べるには遅すぎる、昼食を食べるには早すぎるという時間であった。

この大阪の一人時間も残り20時間ほどだろうか。今日は果たしてどうやって時間を潰そうかといつもなら悩む所だが、昨晩、地図を見ていたら気になる物を見つけたので今日はそこに行って時間を潰してみようという事である。

昨晩、お好み焼き屋でいろいろと地図を見ていたお蔭で大阪の街の全体像をなんとなく把握出来たのですが、そんな中気になった町名を発見した。それは茶臼山町である。
この茶臼山町ってあの茶臼山ー?となったのでそこから徒歩圏内である通天閣にある串揚げ屋で早い昼食を取ったのであるが、このてんぐという串揚げ屋は大阪に来るとちょいちょい立ち寄る店であるが、その理由は他の店を良く知らないからである。観光客とはそんなものだ。

大阪の方からすると、何を今更と言われてしまうかもしれないが、この通天閣はトラスティ阿倍野から散歩で来れるぐらいの距離である。つまり阿倍野と通天閣は近いという事であるし、難波も近いという事であるが、そこで串揚げを口にしている。
その通天閣から茶臼山に向かう途中、慶択園という庭園があったので入って見たがアベノハルカスがとても綺麗に見えた。

まったく知らなかったがこのアベノハルカス日本で一番高いビルらしい。知らないうちに我が町にあるランドマークタワーは2番目という事になったらしいが、その差4メートル。これはどう考えても後出しジャンケンではないだろうか。

しかもビルの形がなんかインチキっぽいのである(笑)それも先週このビルが2番目の高さになったというニュースをやっていたので我が街のランドマークタワーは3番目の高さになったという事なのであろう。
何に張り合ってるのかよくわからないが、精神年齢の低さを露呈した所で話を茶臼山に戻したい。一応茶臼山って何?という方もいるかと思うが歴史家ではないのでだいたいぐらいの認識で聞いていていただくと有難い。
この地、茶臼山は5世紀半ばに出来た豪族の古墳という事らしいが、多くの方に馴染みがあるのは大阪の陣で徳川家康が本陣を引いた場所として多くの人には知られているのではないだろうか。そもそも徳川家康もここが元々は古墳であった事を知っていたのかどうかはわからないが、この茶臼山に陣を敷いたという事である。
大阪の陣は冬と夏の2回あり、徳川家、豊臣家がこの大阪で戦った戦争であるが、こちらは最初の大阪冬の陣である。クラベールが秀頼であったら絶望感で自殺したくなる気分である。
(小学館より)
冬の陣で両陣営が和睦をする際に、外堀を埋めるという事で冬の陣が終了したそうだが、徳川家康は内堀まで埋めてしまったという話は皆さんご存知の話ではないかと思う。

こちらは2回目の夏の陣。なんだかこっちの方が互角に戦えそうな気がするが堀を埋められてしまったために野戦に出るしかなかったという事なのだろう。
(小学館より)
正直、この茶臼山という地は本で読んだぐらいの地名であったので、山なのかと思っていたら、山とは呼べないような盛り土ぐらいの高さである。その事に驚いたが。更に驚いたのは大阪城との近さ。わずか4キロの場所である。昔の戦争って想像以上に接近戦なのね。と驚いたが、徳川家康と豊臣秀頼の距離が4キロなので、その前に双方の鉄砲隊、騎馬隊、弓隊などを並ばせると、近すぎないだろか(笑)
バス旅のプロ太川陽介なら1時間で辿り着いてしまう距離である。

そんな茶臼山であるが、てっきり徳川家康についていろいろと書かれているのかと思ったら、大半が真田幸村に関してのエピソードが掲げられていた。この茶臼山に陣を敷いた家康に真田幸村率いる真田軍が突撃し徳川家康の首を取る寸前まで行った話は有名であるが、この大阪の地では徳川家康より真田幸村の方が英雄という事なのであろう。
うん?真田幸村最後の場所がここからわずか400メートル。そんな近い場所なの?という事でそこに行ってみる事にしよう。

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