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2025.01.08

【施設】会員制ホテル他

鎌足と行く明日香の旅 ASUKA and ASUKA

今回、クラベールは滋賀からの移動はレンタカーで来ましたが、明日香村ではレンタサイクルを借りる事にしました。何より田園風景を楽しめるし、風を感じる事ができる。だいぶ昔ですが、僕はこの地を車で巡ったことがありましたが、今回レンタサイクルで巡って良かったと思っている。

飛鳥駅周辺にはたくさんのレンタサイクルのお店があるので、明日香村を訪れたらレンタサイクルを個人的にはおすすめ致します。ところで、先程から明日香なのか?飛鳥なのか?どっちやねんと思っている方もいるかと思いますが、そうです。僕もそう思っておりました。
明日香なのか?飛鳥なのか?には諸説あるらしいのですが、昔は明日香と書いている人もいれば飛鳥と書いている人もいてバラバラであったらしいのですが、和銅6年(713年)に元号や地名は2文字でなければならない好字二字令により飛鳥と統一されたと言われています。

ただ、そんな好字二字令の事なんか大半の人が忘れた昭和31年、今から50年ほど前の話となりますが、旧高市村、旧飛鳥村、旧坂合村の3つの村が合併した時に、飛鳥村となると不公平感があるので明日香村となり、現在は官公庁でない限りどっちでもえーやん的に使われているとなっているのだと思う。多分。諸説あり。

では、早速、チャリで時代が動き始める欽明天皇の時代へと戻りたいと思います。時代は600年頃、神武天皇から29代後、実在されていた言われている崇神天皇から19代後、今から数えて1400年前の話になります。

つまり、初代天王である神武天皇から600年ぐらいは平和に暮らしていたんだと思いますが、その600年の歴史はよくわかりませんので、多くの人が歴史の教科書で学ぶ聖徳太子の時代へタイムスリップします。

つまり、遡ると東京の前は京都、京都の前は奈良、奈良の前はこの橿原市や明日香村あたりぐらいの認識で良いかと思いますが、計算上は神武天皇の時代から数えると1000年以上はここが都であったという事になるかと思います。多分、そうなはず。
こちらが明日香村内に残されている欽明天皇陵ですが、欽明天皇とはどのような人なのでしょうか?一番わかりやすいのは聖徳太子のおじいちゃん。と言うのがピンとくるかもしれませんが、皆さん、歴史の教科書の最初の方、4月に古墳時代、5月の縄文時代、6月の弥生時代、暑くなってきて授業に集中出来なかくなった7月頃に、物部氏と蘇我氏がナンタラカンタラみたいな時代です。

そうです。その辺りです。ちなみに社会の先生ではありません。

つまり欽明天皇の時代になると朝鮮半島と貿易などが始まり、遣隋使とか記憶にないでしょうか。小野妹子、女やと思っていたら男だった事件の辺りです。そう、そんな時です。その時代になると大陸から仏教が伝わり、仏教推進派である蘇我氏と昔ながらの神を信仰する物部氏が対立して、なんちゃらかんちゃら、結局、蘇我氏が勝ったような気がするー。みたいな時です。
ちょうどその頃の天皇が欽明天皇となりますが、蘇我氏は日本で初めて外戚と言う戦略を取った豪族と言われています。つまり自分の娘を天皇家に嫁がせて、自分が天皇のおじいちゃんになる戦略です。そのために天皇家と蘇我家は物部氏より近く、その頃に生まれた聖徳太子も蘇我家に近いと言う事となります。

現在の日本の政治の派閥にちょっと似ているかもしれません。つまり、聖徳太子が蘇我家と手を組んで物部氏を滅ぼしたのが欽明天皇の息子である用明天皇の時となります。
明日香村には聖徳太子ここで生まれましたー。みたいな場所がありますが、現在、子供達の教科書には聖徳太子は出てこないそうですし、いい国作ろう鎌倉幕府も1192年ではなかったそうですし、一体全体、僕らは何を学ばされていたのでしょう。

まー僕もほとんど授業中は寝ていましたが。

と言うか、それならこの実は存在していなかったと言われている聖徳太子出生の石碑はなんなのだろうか?よくわかりませんが、まーえーでしょう。

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