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2025.01.09

【施設】会員制ホテル他

鎌足と行く明日香の旅 TAKAMATSUZUKA

ではそんな蘇我氏や聖徳太子の時代の遺跡をいくつか巡ってみたいと思いますが最初に訪れたのが飛鳥駅からチャリを漕いで7分のけんこし古墳となります。
斉明天皇の間人皇女と言われているらしいのですが、もう誰やねんそれ。と言うことになりますが、こちらは古墳となります。蘇我氏と物部氏が衝突した、ちょっと後ぐらいの時代になります。

ちなみにですが、天皇になると陵(みささぎ)と言う漢字が付けられますが、天皇でない方は、墓と言う表記になるそうです。そのため今朝、拝見させていただいた神武天皇陵とか、大阪にある仁徳天皇陵古墳とかは(みささぎ)が付きます。
どうやら鎌倉時代に盗掘に遭っているようで、石棺がパッカリ割れて、半分しか残っていません。まー鎌倉時時代の人はこれが、後世、日本国の宝になるなんて思ってもないのでしょうがありませんが、もったいないことをしたのです。

高松塚古墳
こちらも諸説あるらしいのですがどなたのお墓なのかはわかってはないようですが、多分、僕の祖先のお墓ではないだろうか。そんな気がするがそんな訳もありませんが、明日香観光に行かれるなら、なかなか石棺の壁画が残っている古墳も珍しいので、多くの方が訪れる場所となります。
1400年ぐらい前の人の格好って、なんか中国の人みたいな格好なんだね。とか、大河ドラマで見る光る君への時代の平安時代とも全く違う格好しているんだね。とかそんな話をしても面白いかもしれませんが、クラベール、光る君へ、見ていません😆
こちらは酒舟石遺跡となります。宇宙人との交信に使われていたようです。ワレワレハ地球人ダ。とか言って交信していたと言われていますが、僕の説ですと、これは祭事の際に体を清めるために使われていたのではないだろうか。と僕は思うのです。
明日香村では各遺跡でボランティアの方達による説明ガイドを受ける事が出来ます。大変ありがたいサービスなのですが、明日香村を一日で主要な遺跡を巡ろうと言うかたは、ボランティアの方の説明を最後まで聞くと時間が足りなくなるので、あーおじさん、ちょっと最後まで聞く時間はないのです。と途中で切り上げる勇気を持つ必要があります。
なんだか、よくわからない猿とか亀とか、顔の形をした石とかがあるのですが、飛鳥、奈良、京都と段々と文化や生活が洗練されていくのが、明日香村に来るとよくわかります。

この石はどうやって使われていたのでしょうか。
どのようにして運ばれてきたのでしょうか。ひょっとすると、色々な歴史や文化の解明がされている京都や奈良より、誰がなんのために、どうやって作ったのか色々とわからない事が多い飛鳥時代の方が不思議な事が多くて楽しいのかもしれません。
それでは、物部氏を滅ぼした蘇我氏1強の時代へとチャリを漕ぎましょう。

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