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2025.01.10

【施設】会員制ホテル他

鎌足と行く明日香の旅 KAMATARI

聖徳太子と共に物部氏を滅ぼした蘇我氏ですが多くの人の頭の片隅に残っているのが蘇我氏の蘇我馬子という人物ではないでしょうか。仏教反対派である物部氏を滅ぼした、仏教推進派である蘇我馬子は日本で初めての伽藍を配置した本格的寺院を建立するのですが、それが飛鳥寺という事になります。

そんな日本で最初のお寺であれば、金閣寺より清水寺より、もっと多くの人が訪れても良さそうですが、まー観光客はぼちぼちぐらいしかいません。

それはこの寺院が幾度かの火災などに見舞われ、当時の姿ではない事などもあるからかもしれませんし、建立当時は現在の20倍の広さであった。と言われているようですが、その姿は現在では見ることができないからかもしれません。
こちらの大仏も幾度の補修などがあり、蘇我馬子が建立した当時の大仏の跡形もないという事でしたが、こちらが日本で最初の大仏ということになるそうです。諸説あり。というか色々調べてもよーわからん。という事です。時代は欽明天皇の娘である推古天皇が即位した頃の時代となります。
そんな蘇我馬子も亡くなり、息子である蘇我蝦夷、孫である蘇我入鹿の時代になると蘇我氏の力は強大になり、飛鳥の政治を好き勝手にやっていたと言われています。

確かに蘇我馬子の墓と言われている石舞台古墳ですが、今日、見たいくつかの古墳より規模なども大きく、存在感も他の古墳を圧倒しているので、蘇我馬子の強大な権力を1400年経過した令和の時代でも感じることができます。
そんな蘇我氏1強の時代を終わらせたのが中大兄皇子と中臣鎌足という事となります。

大化の改新ってなんだっけ?という方はいないかと思いますが、いや、いても大丈夫。普段の生活にはそんな言葉覚えていてもなんの役にも立ちませんし、数年後、文部科学省が、済まんけど646年だった。とか言い出すことだって全然あると思う😆流石にそれはない。
こちらは蘇我入鹿の首塚になりますが、こちらの首塚の奥に見える甘樫丘に蘇我家の屋敷はあったと言われています。中大兄皇子と中臣鎌足がフットサルで出会った場所もこの蘇我入鹿の首塚の裏あたりらしいと言われていますが、フットサルで意気投合した2人は、次第に蘇我入鹿暗殺計画を立てることとなり、後に蘇我入鹿を暗殺し蘇我家は衰退していく時代へと変わります。
クラベールは、蘇我氏から藤原氏へと時代の移り変わりを見るために藤原京を見て新大阪へと戻りました。

この藤原京は日本で初めての都城となります、南北中央に朱雀大路を配置し左右対称の条坊制を採用した都という事なので、おそらくですが、欽明天皇や聖徳太子の時代の飛鳥京が、多くの建物が集まる巨大な集落といった感じであるのに比べて、都らしい、都と言えるのではないでしょうか。

その後、中大兄皇子が後に天智天皇となり、中臣鎌足が後に藤原姓を与えられ、藤原氏は繁栄していくのは皆さんご存知かと思いますが、てっきりこの藤原京ですが、藤原氏の藤原かと勘違いしていましたが、この藤原京のある土地が藤原と呼ばれる土地であったのです。また、中臣鎌足がこの藤原出身であったために藤原の姓を与えられた事は、このブログを書く前は知らなかった事であります。
私たちの祖先は、約2000年前にこの飛鳥で暮らし、日本で初めての都となる藤原京を橿原に造り、平城京、平安京、東京へと都を移しながら暮らしてきました。今回、現在の首都である東京から、飛鳥の都まで2000年を2泊3日でタイムスリップしてみましたがいかがでしたでしょうか。

まーおそらく我が家の祖先はず〜と多分埼玉。という方もいるかもしれませんが、僕たち、私たちの祖先は昔、ここ飛鳥で暮らしていたんだ。と思ったら、ちょっとロマンティクかもしれませんし、ほんの少しだけですが、人生を豊かに暮らせるような気がするのです。
さー急いで、新大阪のニッポンレンタカーに車を返して、お好み焼きにビールを飲んだら横山めぐみが待っているシンデレラエクスプレスに乗り込みます。2000年前から現代の令和の時代にわずか2時間半でタイムワープするのです。
クラベールブログがスタートしてから最長のブログとなりましたが、皆さん楽しんでいただけましたでしょうか。

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。本年もクラベールブログをよろしくお願い致します。

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